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6th Squadron
Pege-4
1987年は、築城基地の外撮り以外に航空祭への遠征も行った。まだF-15J/DJの築城基地配備はこれからだったが、今後消えて行くであろう天狗マークのF-4EJ狙いで多くのマニア諸氏が築城基地を訪れた。
 日本の国内情勢はと言うと、中曽根首相が長期政権記録を伸ばし、経済もバブルの絶頂期にあった。電信会社大手が携帯電話とか言う”持ち運びの出来る未来の電話機”を発売開始したが、未だこの頃の屋外の連絡手段は、ポケットベルと公衆電話が主だった時代で、この年を起点に携帯電話の時代に徐々に向かって行くのである。軍事部門では、B-1に対抗したソ連の可変翼爆撃機Tu-160がデビューしたり、ソ連の空母で運用可能な垂直離着陸機Ya-141やスキージャンプカタパルトで運用されるSu-33(Su-27の改造版)が初飛行するなど、ソ連の動きが活発で、沖縄周辺で航空自衛隊が初めて、領空侵犯したソ連バジャーに威嚇発砲したのもこの年である。ソ連との緊張関係は高まっていたのだ。
↑ 山側(国道10号線側)から離陸するF-1/263号機/215号機
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↑ 周防棚(海側)R/W-25から、3機のデルタで離陸するF-1。築城基地のランウェイも横幅が47mあるので、細身のF-1が3機並んで離陸しても余裕がある。
↑ 何も携行せず、クリーンな状態で、脚下げ3機密集編隊を披露する6SqのF-1各機。ファントムと違い主翼の小さなF-1は、携行品満載状態とクリーンな状態ではあまり印象が変わらない。
↑ 各種火器を携帯した形で、格納庫内で展示された8Sqの248号機。左翼には70㎜のロケット弾ポッド(JLAU-3)、右翼には4発の127㎜ロケット弾を収容するPL-4ポッドを付けていいる。翼端のミサイルは、AIM-9Bのダミー弾だが、実際にF-1戦闘機で使われ始めたのはAIM-9E型からであり、B型がF-1戦闘機で運用されることは無かったと思われる。
展示された2機のF-1の尾翼、吹き付け塗装であれば、日本の職人技術であっても微妙に塗装が異なるのは自然な事で、指紋のように1機1機の塗装が異なるところが、反って面白い。
↑ こちらは、展示された6Sq所属のT-2後期型。